かわぐっちゃんのナースブログ

看護師をしております。日々生活しながら、看護、医療、病院、健康などについて日々思うことをまとめ、こちらに届けさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

寝たきりと延命治療 #寝たきり #延命治療

 
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 皆さん、こんにちは!

今日も炎天下で暑いですね。こんな日はシャキシャキのスイカが美味しいです!

いかがお過ごしでしょうか?

 

今日は、延命治療や寝たきりにまつわる私の考えを書こうかと思います。

 

実家に帰ってきて、看護師が点滴に消毒薬を注入した事件の話しになり、父親が「俺が寝たきりになって自分のことも自分でできないんじゃあ、さっさと殺してほしいと思うよ」と言うのです。

私はその事件について、それほど情報を持っているわけではないのですが、彼女がターゲットにした患者さんは、みんな急変のリスクが高く、いつ亡くなってもおかしくない患者さんばかりだったそうです。

 

しかしながら

どんな理由があるにせよ、この日本においては、

誰かが誰かの命を奪ってよい権利はどこにもありません。

寿命を縮めてよいという権利はどこにもありません。

そこは大前提!

この女性を擁護する声もちらほら聞かれますが、その大前提において、彼女は裁かれなくてはならない人間です

 

 f:id:ineverendforever:20180713130559j:image本題から逸れました。

 

今回、私が取り上げたいのは

意思の疎通ができない寝たきりになることは、悪いことなのか?

意思疎通のできない寝たきりの患者さんには延命治療は不要なのか?

ということです。

 

以下はWikipediaからの引用です。

延命治療(えんめいちりょう、Life-support treatment)とは、疾病の根治ではなく延命を目的とした治療のことである。対症療法の1つ。

生命予後不良で根治が見込めない患者に対し、人工呼吸や輸血、輸液などによって延命を図ることを目的とする。医療技術の発達により、意思疎通が不可能な状態で生命だけを維持することが可能になったが、クオリティ・オブ・ライフや尊厳死の観点からそういった治療を見直す議論が起こっている[1]。

 

 意思疎通のできない寝たきり患者さんに役割はないのか?

 

まさか!

そんなことは全くありません。

 

意思疎通ができなくても、寝たきりになっても、それまで過ごしてきた過程があります。家族にとっては、その人が生きているだけで励みになることがおおいにあります。

 

身よりのない人の場合は?

これは、私の後輩のケースでした。

ある寝たきりの患者さんが亡くなった日、彼女が私に言いました。

「つらいとき、○○さんに聞いてもらってたんです。これからは話す人がいなくなるな」

「私に相談してよー」

私が言うと、

「だって、川口(旧姓)さんはよかれと思っていろいろ言うでしょ。ただ聞いていてほしいときもあるんだよ」

そう、寝たきりでも、看護師の泣き言や世間話の相手になってくれ、そこで気持ちの救われる人もいるんです。

 

これはほんの一例で、他にも様々な役割が見いだせると思います。

 

それに、寝たきりで意思の疎通ができないと言われたとしても、それは意思の疎通ができないだけで必ずしも感情がなくなるわけではありません。

痛みも苦しみも、当然快楽も喜びも感じられることもあります。

 

寝たきりで意思の疎通ができないことは、本人にとってどうかということは本人以外誰にも分かりませんが、少なからず役割が全くないということはありません。

 

それに、私は長期療養型病院で働いたことがあるのですが、自分で身の回りのことができなくなったとしても、意思の疎通のはかれる患者さんの口から「死にたい」という言葉を聞いたことが、実は、ないんです。

 

寝たきりの状態を悪いかどうかなんて、誰にも推し量ることなどできないです。

 

じゃあ、延命治療は?

ここからは、私の考えなので百、そうだと言うのではなく、私はそう思うということを前提にお話しします。

 

延命治療の線引きはどこなのか?

以前、私の勤めていた病院でのことです。

心不全で入院してきた87歳の女性、食欲も旺盛だし意識もしっかりした会話のできる方でした。

ある日、脳梗塞に罹患しました。意識障害と麻痺症状が出現しました。最近の脳梗塞の薬はとても進んでいて、その点滴をすれば状態は回復する可能性が高い。

けれども、家族が「延命治療は望まない」とのことだったので、脳梗塞の薬は投与されず、嚥下(食事を飲み込む)機能も低下し、食事も摂取できず、なされる治療は一日にたった一本の点滴だけとなりました。

最後は痩衰え、長期療養型病院へ転院されました。

 

あなたは、この事実をどう思いますか?

 

私は、悩みました。

この患者さんは、脳梗塞の治療を受けたら治ったかもしれなかったのに、大好きだったご飯も食べられない、会話もできない、体も動かせないで、あとは自分の寿命が終わるのを待つだけです。

 

もちろん、人工呼吸器をつけるとか、心肺蘇生は行わないというのなら、納得できるんです。

90歳過ぎた寝たきりの患者さんに心肺蘇生を実施して、人工呼吸器をつけて、いったい何を望もうというのか私には分かりません。

 

でも、新たな疾患が起こったときの対処まで、すべて不要にするの?

 

この例えは意識がある患者さんの場合を取り上げましたが、

じゃあ、意識障害のある患者さんは、延命希望がなければ、肺炎になったら抗生剤の投与しないんでしょうか?

高熱で玉の汗をかき、肩で息をしていても?

 

延命治療は、必ずしもすべきだとは思わないです。

 

しかし、患者さんの苦痛を緩和したり、治療することで高い確率でその人の疾患の改善が見込める場合、その人がその人らしく過ごせるようになるのなら、そのための治療をすることには価値がある。

私は、そう思うんです。

 

《まとめ》

意思の疎通ができなくても、寝たきりであっても、人には役割はある。

延命治療は、その人に高確率な状態の改善が認められると判断されるならば、あるいは苦痛が緩和されるならば、その人がその人らしくあるために施す余地はじゅうぶんあるのではないでしょうか。


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